2014年10月10日金曜日

51. 曾良との別れ(八月五日)

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【現代読み】
曾良は腹を病(や)みて、 伊勢(いせ)の国
長嶋(ながしま)と云う所に ゆかりあれば、
先立(さきだち)て行くに、

 (ゆ)き行きて 倒れ伏(ふ)すとも 萩(はぎ)の原 曾良

と書き置きたり。
行く者の悲しみ、 残る者の憾(うら)み、
隻鳧(せきふ)の別れて 雲に迷うがごとし。
(よ)もまた、

 今日よりや 書付(かきつけ)消さん 笠(かさ)の露

【語句】
曾良は腹を病みて: 「曾良・旅日記」によると、金沢に滞在していた七月十七日頃から具合が悪くなったようで、日記に空白がある箇所は休んでいたと思われ、医師の高徹から薬をもらったりしていた。 
この日は八月五日(現在の9月18日)で、曾良の日記はこれ以降、曾良自身のことになり、芭蕉の動向については分からなくなる。
伊勢の国・長島: 現在の三重県桑名郡長島町。 曾良は若い頃長島藩に出仕し、伯父は長島にある大智院の住職だったと言われる。

隻鳧(せきふ)の別れて: 二羽の「(けり)」が別れて、別々の方向へ飛んで行く、ということ。
これも難しい言葉だが、「李陵初詩」の中の詩句で、蘇武が共に匈奴に捕らえられていた李陵と別れる際に詠んだ、
武別陵詩曰  武(ぶ)、 陵(りょう)と別れる詩に曰(いわ)く
雙鳧倶北飛  双鳧(そうふ)倶(とも)に 北へ飛び
一鳧独南翔  一鳧(いっふ)独り 南に翔(かけ)る
子当留斯館  子(なんじ)当(まさ)に 斯(こ)の館に留まるべし
我当帰故郷  我(われ) 当(まさ)に 故郷に帰るべし
―から来ているとのことで、芭蕉は「雙鳧(そうふ)」を「隻鳧(せきふ)」と変えている。

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