2014年10月18日土曜日

43. 越後路(七月上旬)

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【現代読み】
酒田の余波(なごり) 日を重ねて、
北陸道(ほくりくどう)の雲に望む。
遥々(ようよう)の思い 胸をいたましめて、
加賀の府まで 百三十里と聞く。

(ねず)の関を越ゆれば、 
越後(えちご)の地に歩行(あゆみ)を改めて、
越中(えっちゅう)の国 市振(いちぶり)の関に到る。

この間 九日(ここのか)、 暑湿(しょしつ)の労に神(しん)を悩まし、
(やまい)起こりて 事を記(しる)さず。

 文月(ふみづき)や 六日(むいか)も常の 夜には似ず
 荒海(あらうみ)や 佐渡に横たう 天の河(あまのがわ)

【語句】
酒田の余波(なごり) 日を重ねて: 象潟を発ってから酒田に戻り、その地の俳人たちと俳諧を重ねて一週間ほど過ごしたことは「曾良・旅日記」(前章)に詳しいが、それをこれだけの言葉で簡潔に表している。
北陸道の雲に望む: 次の目的地である北陸は、現在の福井・石川・富山・新潟(越後)の四県だが、その越後路が単なる通過点に過ぎないことは、この思い切って省略された文章でも明らかであろう。
加賀の府: 現在の金沢市。

(ねず)の関: 鼠が関(または「念珠が関」とも)。山形と越後(新潟)の境界にあり、ここから越後となる。奥羽三関の一つで、元禄当時は庄内藩の口留番所。
市振(いちふり)の関: 「市振」はまだ越後で、そこを越えると越中(富山)となり、芭蕉の勘違い。
この間 九日: 「曾良・旅日記」によると、「鼠が関」を越えたのが六月二十七日で、「市振」に着いたのが七月十二日であるから、越後路だけでも十六日かかっていることになる(その間に俳諧もあり)。
俗に「越後路十日、越中路三日」と言われるから、それに合わせただけかもしれない。 憧れだった「松嶋」や「象潟」を実際に訪ね、「奥羽の歌枕探訪」という目的が達成された芭蕉にとって、次の目的地は加賀であったということ。

暑湿の労: 暑さや雨に苦しめられ。
(しん)を悩まし: 「神(しん)」は、「心、たましい、精神」で、「気が滅入る」、「気分がすぐれない」。
(やまい)起こりて: 「曾良・旅日記」によると、芭蕉が病気になったという記述はどこにも無い。 越後路の事を何も記(しる)さなかった口実ともとれるし、このあと腹を病んで苦しむのは、むしろ曾良の方である。
文月や: 七月六日は、七夕(たなばた)の前夜である。
 
芭蕉のこの文章は、推敲の段階において半月ほどの叙述をばっさりと裁ち切った様にも見えるが、「曾良・旅日記」を読んでみると、雨続きで不愉快な出来事も色々あったらしい。

蝶夢「芭蕉翁・絵詞伝」を編集していたら、芭蕉が「佐渡が島」を描写した見事な文章を見つけたので、「曾良・旅日記」と併せて書き写しておく。  
美濃の商人・弥三郎(低耳)の紹介状を持って柏崎の庄屋(天屋弥惣兵衛)宅を訪ね、立腹のあまり雨の中を外へ飛び出したのは、その翌日のことである。

 『出雲崎』 七月四日 (陽暦:8月18日)

北陸道に行脚(あんぎゃ)して 越後の国・出雲崎という處(ところ)に泊る
かの佐渡が島は海の面(おも)十八里 滄波(そうは)を隔て
東西三十五里に 横をり臥(ふ)したり
峰の嶮(けん) 難谷(なんたに)の隈々(くまぐま)まで
さすがに手に取るばかり 鮮やかに見渡さる

むべ此島(このしま)は 黄金(こがね)多く出(い)で
あまねく世のたからとなれば 限りなき めでたき島にて侍(はべ)るを
大罪朝敵(たいざい・ちょうてき)の類(たぐ)い 遠流(をんる)せらるゝによりて
只おそろしき名の 聞えあるも本意なき事に思いて
窓押し開き 暫時(しばらく)の旅愁を労(いた)わらんとするほど

日(ひ)既に海に沈んで 月ほの暗く
銀河(ぎんが)半天にかゝりて 星きらきらと冴(さ)えたるに
沖の方(かた)より波の音 しばしばはこびて 魂(たましい)けずるが如く
腸(はらわた)ちぎれて そゞろに悲しび来(きた)れば
草の枕もさだまらず 墨(すみ)の袂(たもと) 何故(なにゆえ)とはなくて
しぼるばかりに なん侍(はべ)る

  あら海や 佐渡に横たふ 天の川   (蝶夢芭蕉翁・絵詞伝「銀河序」より)

  「曾良・旅日記」
六月廿六日(現在の8月11日): 晴れ。大山を立つ。酒田より浜中へ五里近し。浜中(酒田市内)より大山へ三里近し。大山より三瀬(鶴岡市内)へ三里十六丁、難所也。三瀬より温海(町)へ三里半。此の内、小波渡・大波渡・潟苔沢の辺りに鬼掛け橋(岩山が海に突き出して道をふさいでいた難所)・立岩、色々の岩組絶景地有り。
未の刻(午後二時半頃)、温海に着く。鈴木所左衛門宅に宿。弥三郎添状有り。少し手前より小雨す。暮るに及び、大雨。夜中、止ま不。

廿七日: 雨止む。温海立つ。翁(芭蕉)は馬にて直に鼠が関へ趣被(おもむか)る。予は湯本へ立寄り、見物して行く。半道計りの山の奥也。今日も折々小雨す。暮に及び、中村に宿す。

廿八日: 朝晴れ。中村を立ち、葡萄(ぶどう)峠に到る(名に立つ程の難所で無し)。甚雨降る。追付、止む。
申の上刻(午後四時前後)に村上に着く。宿借りて城中へ案内。喜兵(菱田喜兵衛・村上藩主)・友兵来て逢う。彦左衛門を同道す。

廿九日: 天気吉。 昼時、喜兵(菱田喜兵衛)・友兵来て(筆頭家老・榊原帯刀公より百疋給) (※疋〈ひき〉は十文の単位で、百疋=一分)、光栄寺へ同道。一燈公(帯刀の父の法号)御墓拝。道にて鈴木治部右衛門に逢う。帰りて、冷麦・持賞(もてな)す。
未の下刻(午後三時前後)、宿久左衛門(大和屋・久左衛門)同道にて瀬波(村上の西海岸)へ行く。帰り、喜兵衛隠居より下物被(くだされもの)、山野等よりの奇物持参。また御隠居より重の内下被(くださる)。友右より瓜、喜兵内より干菓子等贈らる。

七月朔日(現在の8月15日): 折々小雨降る。喜兵・太左衛門・彦左衛門・友右等尋(たずぬ)。喜兵・太左衛門は見立被(みたてら)る。朝之内、泰叟寺(榊原家の菩提寺)へ参詣。 己の刻(午前九時半頃)、村上を立つ。
午の下刻(正午過ぎ頃)乙(きのと)村に至る。次作を尋ね、甚だ持(もてな)す。乙宝(おっぽう)寺へ同道、帰て、つゐ地村(中条町内)、息次市良へ状添遣す。乙宝寺参詣前、大雨す。即刻止。 申の上刻(午後四時前後)、雨降出。暮に及び、つゐ地村・次市良へ着き、宿。 夜、甚強雨す。 朝、止、曇り。

二日: 辰の刻(午前七時頃)、立つ。喜兵方より大庄屋・七良兵衛方へ之状は愚状(「愚」は自分を謙遜する言葉)に入れ、返す。昼時分より晴れ、藍風(東風で順風)出。新潟へ申の上刻(午後四時前後)着く。一宿と云、追込み宿(客を一間に無理に詰込む下級宿)の外は貸さ不(ず)。大工源七母、情け有り、貸す。甚だ持賞(もてな)す。

三日: 快晴。新潟を立つ。馬(賃)高く、無用の由(よし)、源七指図にて歩行す。申の下刻(午後五時半頃)弥彦に着す。宿取て、明神(弥彦神社)へ参詣。

四日(陽暦8月18日): 快晴。風、三日同じ風也。 辰の上刻(午前六時前後)、弥彦を立つ。弘智法印(真言宗蓮華寺の住職だった人で、即身仏となって残る)像、拝む為。峠より右に半里計り行く。谷の内、森有り、堂有り、像有り。二・三町行きて、最正寺と云う所を野積(のずみ:現・寺泊)と云う浜へ出て、十四・五丁、寺泊の方へ来りて左の谷間を通りて、国上へ行く道有り。荒谷と云う、塩浜より壱里計り有り。寺泊の方よりは渡部(わたべ)と云う所へ出て行く也。寺泊の後也。壱里有り。
同晩、申の上刻(午後四時前後)、出雲崎に着き、宿す。夜中、雨強降る。

五日: 朝迄雨降る。辰の上刻(午前六時前後)止む。出雲崎を立つ。間もなく雨降る。 柏崎に至り、天屋弥惣兵衛(市川氏:大庄屋)へ弥三良(低耳)状届け、宿など云い付ると云へども、快不(こころよからず)して出(い)。道まで両度(二度) 人走らせて止どめ(るも)、止どまら不(ず)して出づ。小雨折々降る。申の下刻(午後五時半頃)鉢崎(はっさき:現・柏崎市)、宿、たわらや六郎兵衛。
(※庄屋・天屋弥惣兵衛は当時35歳で、俳諧の正統は貞門派と信じていたようで、何か無礼なことを言ったらしい。芭蕉が立腹のあまり家を飛び出したのはこの日だけであり、当時46歳の芭蕉の置かれていた立場が良く分かるエピソードである)

六日(現在の8月20日): 雨晴。 鉢崎を昼時(立つ)。黒井(現・直江津)よりすぐに浜を通りて、今町(当時の直江津の通称)へ渡す。聴信寺(浄土真宗の寺。住職の俳号は眠鷗)へ弥三(低耳)状届け。忌中の由にて強(しい)て止(とど)め不(ず)、出(いづ)る。石井善次郎聞きて人を走らす。帰ら不(ず)。再三に及び、折節雨降り出る故(ゆえ)、幸いと帰る。宿、古川市左衛門方を云ひ付く。夜に至りて、各来る。発句有り(後述)。

七日: (七夕) 雨止不故(あめ、やまざるゆえ)、見合(みあわす)る中に、聴信寺(忌中)へ招被(まねか)る。再三辞す。強いて招くに、暮に及ぶ。 昼、少之内、雨止む。 其の夜、佐藤元仙(俳号:右雪)へ招て俳(三吟・後述)有りて、宿。夜中、風雨甚。

八日: 雨止む。立たんと欲す。強いて止めて喜衛門(石塚氏・俳号:左栗)饗す。饗畢(おわり)、立つ。未の下刻(午後三時前後)高田に至る。細川春庵(医師・俳号:棟雪)より人遣して迎え、連て来る。春庵へ寄らずして、先づ、池田六左衛門を尋ぬ。客有り。寺を借り、休む。又、春庵より状来る。頓(やが)て尋ぬ。発句有り。俳(諧)初める。宿六左衛門、子甚左衛門を遣わす。謁す。

九日: 折々小雨す。 俳、歌仙終る。

十日: 折々小雨。 中桐甚四良へ招被(まねか)れ、歌仙一折有り。夜に入て帰る。夕方より晴れ。

十一日: 快晴。 暑さ甚し。 己の下刻(午前十時頃)、高田を立つ。五智(国分寺・五智如来)居田(こた・神社)を拝む。名立(なだち)は状届け不(ず)。直(すぐ)に能生(のふ)へ通、暮て着く。玉や五郎兵衛方に宿。月晴。

十二日(現:8月26日): 天気快晴。 能生を立つ。早川にて翁つまづかれて衣類濡れ、川原に暫く干す。
午の刻(正午頃)、糸魚川に着き、新屋町、左五左衛門に休む。大聖寺(大聖持:この後「全昌寺」に出てくる、加賀の地名)そせつ師、言伝(ことづて)有り。母義、無事に下着、此地平安の由。
申の中刻(午後四時半頃)、市振(いちふり)に着き、宿。


  「曾良・俳諧書留」
   直江津にて (七月六日)
文月や 六日も常の 夜には似ず  はせを
露を のせたる桐の 一葉  石塚喜衛門・左栗
朝霧に 食焼烟 立分て   曾良
蜑の小舟を はせ上る 磯  聴信寺・眠鷗
鳥啼 むかふに山を 見ざりけり  石塚善四良・此竹
夕嵐 庭吹払ふ 石の塵  佐藤元仙・右雪

  三吟
蝶の羽おしむ蝋燭の影  右雪
春雨は 髪剃児の 泪にて  芭蕉
香は色々に人々の文  曾良

  同所
星今宵師に駒ひいてとどめたし  右雪
色香ばしき初苅の米  曾良
瀑水 躍に急ぐ 布つぎて  翁

  細川春庵亭にて
薬欄に いづれの花を くさ枕  翁
荻のすだれを あげかける月  棟雪
馬乗ぬけし高藪の下  曾良

  七夕
荒海や 佐渡に横たふ 天の河  翁

  西浜
小鯛さす 柳涼しや 海士(あま)がつま   同



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