2014年11月3日月曜日

40. 象潟(六月十五~十六日)

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【現代読み】
江山水陸(こうざん・すいりく)の風光 数(かず)を尽して、
今 象潟(きさがた)に方寸(ほうすん)を責(せ)む。
酒田の港より東北の方(かた)、 山を越え
(いそ)を伝い、 砂(いさご)を踏みて、 その際(さい)十里
日影やや傾く頃、 潮風 真砂(まさご)を吹上げ、
雨 朦朧(もうろう)として 鳥海(ちょうかい)の山隠る。
暗中(あんちゅう)に模索(もさく)して 「雨もまた奇(き)なり」とせば、
雨後(うご)の晴色(せいしょく) また頼母敷(たのもしき)と、
(あま)の笘屋(とまや)に膝を入れて、 雨の晴るるを待つ。

その朝(あした) 天好く晴れて、 
朝日はなやかに さし出(い)づる程に、 象潟に舟を浮かぶ。
まず能因島(のういんじま)に舟を寄せて、 
三年幽居の跡を訪(とぶら)い、 向こうの岸に舟を上がれば、
「花の上こぐ」 と詠(よ)まれし桜の老木、西行(さいぎょう)法師の記念(かたみ)を残す。

江上(こうしょう)に御陵(みささぎ)あり。 神功后宮(じんぐう・こうぐう)の御墓(みはか)と云う。
寺を 干満珠寺(かんまんじゅじ)と云う。 
此の所に行幸(みゆき)ありし事 いまだ聞かず。 いかなる事にや。

【語句】
江山水陸の風光: 「江」は「川」のことで、川・山・海・陸の(すぐれた)風景。
数を尽くして: 数え切れないほど多くある。
象潟(きさがた): 東の松嶋と対比される風光明媚な潟湖であったが、地盤の隆起によって現在は平地になっている。
方寸を責む: 「方寸(ほうすん)」は「心」のこと。昔、心は胸中の方寸(わずか)の間(=心臓)にあると考えられていた。 「方寸を責む」は、「心を研ぎ澄ます」、「詩心を凝らす」、「心がせきたてられる」―と、本によって解釈が違う。

その際十里: 酒田から北へ磯伝いに歩いて行くと、20km.(五里)ほどで吹浦(ふくら)漁港へ出る。 その少し先が「有耶無耶(うやむや)の関」で、右(東)側に鳥海山がある。
鳥海山: 山形と秋田にまたがる標高2236m.の山。 雪をかぶった姿が富士に似ているので、「出羽富士」とも呼ばれる。

暗中に模索して: 四字熟語の「暗中模索」ではなく、策彦(室町時代の五山の僧)の「晩過西湖」にある
『余杭門の外 日(ひ)将(まさ)に晡(くれ)んとし 多景朦朧として一景無し 「雨奇晴好(晴れて好く、雨もまた奇なり)」(という蘇軾の詩)を暗(そら)んじ 暗中に模索して西湖(せいこ)を識(し)る』―からの引用という解釈が一般的。

雨もまた奇なり: 蘇軾(そしょく)の詩「飲湖上初晴後雨」 (「松嶋」の段でも引用あり)
『水光瀲艶晴方好(水光瀲艶として晴れてまさに好く) 山色空濛雨亦奇 (山色空濛として雨も亦た奇なり) 
欲把西湖比西子(西湖を西施に比せんと欲すれば) 淡粧濃抹総相宜(淡い粧いも濃い化粧も総て相い宜し)』
―ということで、絶景(美女)は、晴れでも雨でも(化粧をしても、しなくても)美しいことに変わりはない、ということ。

能因島: 能因法師が閑居していたとされる島で、現在は陸地となって跡だけが残っている。
三年幽居: 能因が滞在したことは確からしいが、三年も住んでいたという確証はなく、伝承にすぎない。 「幽居」は「隠れ住む」こと。 能因が残した句に、
「羇旅、出羽の国にまかりて きさかた といふ処にて よみ侍(はべ)る」
 『世の中は かくても経(へに)けり きさ潟の 海士(あま)の苫(とま)やを 我宿にして』

「花の上漕ぐ」と詠まれし: 西行伝。
 『象潟の 桜は波にうづもれて 花の上漕ぐ 海士(あま)の釣舟』(「継尾集」)

神功后宮(じんぐう・こうぐう): 仲哀天皇(ちゅうあい・てんのう)の皇后。 百済征伐の帰途、大しけに遭って象潟沖に漂着したという伝承が残されている。 ただし実在の人物かどうかはっきりしないので、全ては伝説の域を出ない。

干満珠寺: 現在の蚶満寺(かんまんじ)。干満珠寺の名は、「干珠・満珠」を皇后が持っていたことに由来するとされる。 潮の満ち干を左右する「塩満珠(しおみつだま)・塩干珠(しおほしだま)」というと、「火遠理(ほおり)の命(山幸彦)」が海神ワタツミからもらったとされる話が古事記にある。 
行幸(みゆき): 「ぎょうこう」とも読むが、前出の「みさぶらひ」、「みかさ」、「みやぎの」と同様、「みささぎ」、「みはか」、「みゆき」と並ぶ方が韻を踏んで語呂が良い気がする。
意味は天皇が外出されること。 皇后の場合だと「御幸」と書くのが正しいそうだが、いずれにせよ実在したかどうかも分からない人物なので何とも言えない。

「曾良・旅日記」
六月十五日: 象潟へ趣く。 朝より小雨。 吹浦に到る前より甚雨。 昼時、吹浦に宿す。 此の間六里、砂浜、渡し二つ有り。左吉状届。 晩方、番所裏判済。

十六日: (現在の8月1日)吹浦を立つ。 番所を過ると雨降出る。一里、女鹿(めが)。是より難所。馬足通ら不。大師崎共、三崎共云う。 一里半有り。小砂川(こさがわ)、御領也。庄内預り番所也。入るには手形入不(いらず)。塩越迄三里。半途に関と云う村有り(是より六郷庄之助殿領)。うやむやの関成りと云う。此の間、雨強く甚だ濡る。 船小屋入て休む。
昼に及びて塩越に着く。佐々木孫左衛門(能登屋)尋ねて休む。衣類借りて濡れ衣干す。うどん喰う。
所の祭りに付て女客有るに因りて、向屋(旅館)を借りて宿す。先、象潟橋迄行きて、雨暮気色を見る。今野嘉兵衛(俳号:玉芳)折々来て訪被(おとわ)る。

十七日: 朝、小雨。 昼より止て日照る。朝飯後、皇宮山・蚶満寺へ行く。道々眺望す。帰て所の祭り(神輿などの行列か)渡る。 過て、熊野権現(塩越の鎮守・熊野神社)の社へ行き、躍(おどり)等を見る。
夕飯過て、潟に船にて出る。 (今野)加兵衛、茶・酒・菓子等持参す。
帰て夜に入、今野又左衛門(名主)入来。 象潟縁起等の絶たるを歎く。翁諾す。 
弥三良(郎)・低耳(美濃の国・長良の商人:宮部弥三郎)十六日に跡より追来て、所々へ随身す。

十八日: 快晴。 早朝、橋迄行き、鳥海山の晴嵐を見る。 飯終りて立つ。 藍風(※)吹て、山海快。 暮れに及びて酒田に着く。 (※北国では東風を「あゆの風」と云う)

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