2014年11月14日金曜日

29. 尿前の関(五月十五日)

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【現代読み】
南部道(なんぶみち)(はる)かに見やりて、岩手の里に泊る。

小黒崎(おぐろさき) みづの小嶋(こじま)を過ぎて、
鳴子(なるご)の湯より 尿前(しとまえ)の関にかかりて、
出羽(でわ)の国に越えんとす。
此の路(みち) 旅人(たびびと)(ま)れなる所なれば、
関守(せきもり)に怪(あや)しめられて、
(ようよう)として関を越す。

大山を登って 日既(ひ・すで)に暮れければ、
封人(ほうじん)の家を見かけて 宿(やど)りを求む。
三日 風雨 (ふうう)荒れて、 よしなき山中(さんちゅう)に逗留(とうりゅう)す。

 蚤虱(のみ・しらみ) 馬の尿する 枕(まくら)もと

【語句】
鳴子の湯: 一般的には「なるこ」だが、地元の発音では「なるご」と濁ることも多いという。
尿前(しとまえ)の関: 現在の堺田越(さかいだごえ)と呼ばれる峠にあった関所の内、仙台藩が設けていた関所。 新庄藩が設けていたのが笹森関所で、曾良によると尿前の関の二日後に笹森の関所を越えている。
封人(ほうじん): 関所の番人。

「曾良旅日記」では、五月十五日に尿前(しとまえ)の関を通っていて、
十六日「堺田(さかいだ)に滞留。大雨、宿(和泉庄や、新右衛門兄也)」
十七日「快晴。堺田を立。一里半、笹森(ささもり)関所有。新庄領。関守(せきもり)は百姓に貢(みつぎもの)を宥(ゆる)し置也(おくなり)」―とあり、実際の山中逗留は二日間となっている。

馬の尿する: 「尿」の読み方は、「しと」と「ばり(いばり)」の両方があるのでややこしい。
「岩波文庫」と「講談社学術文庫」の読みは「しと」で、角川文庫では「ばり」となっている。
角川文庫版「おくのほそ道の「発句評釈」では、その問題をかなり詳しく解説しているのでそちらを参照)

「芭蕉自筆・奥の細道」 (クリックで拡大)

「角川文庫」では、曾良本、野坡(やば)本の両方に「ハリ」の傍訓が確認されていることを挙げていて、近年発見された「芭蕉自筆・奥の細道」(通称「野坡本」)とされる影印復刻本にも「バリ」と傍訓が振ってある(上の画像を参照)。 

この画像だけを見るといかにも「歴史的発見」の様に思われるが、良く考えてみると濁音表記の無い本文中に何故かそこだけ濁点の振り仮名が付けてあるのも不自然な感じを受けるし、長い年月の間に多くの人の手を経た中で、おそらく他の誰かが後から付けたものと考える方が自然なはず。 (図書館の本の、鉛筆による「書き込み」を参照)

この「芭蕉自筆」と称される影印(写真画像)の中で、他に濁点が振ってある箇所は「最上川」の段の「てん・はやさ」の二箇所だけで、元禄時代に製版された井筒屋本には当然ながら濁点も振り仮名も付いていない。 (日本語の文章に句読点や濁点が入るのは、一般には明治以降のこと)

しかし、こうした枝葉末節に関わるのは学者の方々にお任せしておいて、この問題はここまでとしておきましょう。
そして一読者としてはもっと大切な根幹、芭蕉翁が残してくれた優れた精神の遺産を味わいたいと思います。



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