2014年12月13日土曜日

21. 末の松山・塩竃の浦

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【現代読み】
それより野田の玉川(たまがわ) 沖の石を尋(たづ)ぬ。
(すえ)の松山は、 寺を造りて 末松山(まっしょうざん)という。
松の間々(あいあい) 皆 墓原(はかはら)にて、 
(はね)を交わし 枝を連(つら)ぬる契(ちぎり)の末も、 
(つい)にはかくのごときと、 悲しさも増(まさ)りて、
塩竃(しおがま)の浦に 入相(いりあい)の鐘を聞く。 
五月雨(さみだれ)の空 聊(いささ)か晴れて、 夕月夜(ゆうづきよ) (かす)かに、
(まがき)が島も ほど近し。 
(あま)の小舟(こぶね)漕ぎ連れて、 肴(さかな)分かつ声々に、 
「つなでかなしも」 と詠みけん心も知られて、
いとど哀(あわ)れ也。 

その夜、 目盲(めくら)法師の琵琶(びわ)を鳴らして、 
奥浄瑠璃(おくじょうるり)と 云うものを語る。 
平家(へいけ)にもあらず、 舞(まい)にもあらず、 
(ひな)びたる調子 うち上げて、 
枕近(まくらちこ)う かしましけれど、 
さすがに辺土(へんど)の遺風(いふう) 忘れざるものから、 
殊勝(しゅしょう)に覚えらる。

【語句】
野田の玉川: 歌枕。
 『夕されば 汐風こして みちのくの 野田の玉川 千鳥鳴くなり』(能因法師)
芭蕉の頃には既に廃れて、溝渠を遺すのみだったとか。
沖の石: これも歌枕の一つ。
 『わが袖は 汐干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らぬ 乾く間もなし』(二条院讃岐)
末の松山: これも歌枕の一つ。 多賀城市八幡の北の丘で、当時は青松数十株を有し、そこから海も見えたとか。
 『君をおきて あだし心をわがもたば 末のまつ山 浪もこえなん』(「古今和歌集」東歌・陸奥歌1093)
寺を造りて末松山という: 末松山・宝国寺のこと。 本堂奥の老松の茂る辺りが、歌枕の「末の松山」と言われる。

墓原(はかはら): 死者を埋葬し、墓を建てる場所。 墓地。 墓場。
翼を交わし、枝を連ぬる契: 白楽天の「長恨歌」にある、玄宗皇帝と楊貴妃が七夕の夜に二人だけで交わした誓いの言葉、
『在天願作比翼鳥、在地願爲連理枝 : 願わくば天に在っては比翼の鳥となり、地に在っては連理の枝とならん』
―から、夫婦間で永遠に変わらない愛の誓いを交わすこと。

塩竃の浦: 今の塩竃湾で、千賀の浦ともいった。 これも歌枕の一つ。
入相の鐘を聞く: 夕暮れ時に寺でつく鐘の音。
夕月夜 幽かに: 曾良旅日記によるとこの日は陰暦八日だから上弦の月くらいで、「朝之内小雨す」とあるから、梅雨空にぼんやりと浮かんでいたのでしょう。

蜑の小舟: 漁師の乗る小さな舟。 それが幾つも並んで戻ってきて、捕れた魚を分け合っている情景。
 『世の中は 常にもがもな なぎさ漕ぐ あまの小舟の 綱手(つなで)かなしも』(源実朝)
つなでかなしも: 上の句の他にも、「古今和歌集」に、
 『陸奥(みちのく)は いづくはあれど しほがまの 浦こぐ舟の 綱手(つなで)かなしも』 (東歌・陸奥歌1088)

目盲法師: 僧形で盲目の旅芸人で、「平家物語」などを琵琶を弾きながら語った。
奥浄瑠璃: 江戸時代に仙台を中心に行われていた古浄瑠璃の一種。 「仙台浄瑠璃」や「御国(おくに)浄瑠璃」とも。
平家にもあらず、舞にもあらず: 「平家琵琶」でもなく、「幸若舞(こうわかまい)」でもなく。



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