2014年12月15日月曜日

19. 仙台・宮城野(五月四日)

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【現代読み】
名取川(なとりがわ)を渡って仙台(せんだい)に入る。 あやめ葺(ふ)く日也。 
旅宿(りょしゅく)を求めて、 四五日 逗留(とうりゅう)す。 
(ここ)に画工(がこう) 加右衛門(かえもん)と云う者あり。 
(いささ)か心ある者と聞きて、 知る人となる。 
この者、 「年ごろ定(さだ)かならぬ名所(などころ)を考え置き侍(はべ)れば」 
とて、 一日(ひとひ)案内す。

宮城野(みやぎの)の萩(はぎ)茂り合いて、 秋の気色(けしき)思いやらるる。
玉田(たまだ)・横野(よこの)・つつじが岡は あせび咲くころ也(なり)。 
日影も漏(も)らぬ松の林に入りて、 爰(ここ)を木の下(きのした)と云うとぞ。 
昔もかく露深ければこそ、 「みさぶらい(御侍) 御笠(みかさ)」 とは詠(よ)みたれ。 
薬師堂・天神の御社(みやしろ)など拝(おが)みて、 其(そ)の日は暮れぬ。 

(なお)、 松嶋・塩竈(しおがま)の所々(ところどころ)、 (え)に描(か)きて贈る。
(かつ)、 紺の染緒(そめお)付けたる 草鞋(わらじ)二足 餞(はなむけ)す。 
さればこそ、風流のしれ者、
(ここ)に至りて 其(そ)の実(じつ/まこと)を顕(あら)わす。

 あやめ草(ぐさ) 足に結(むす)ばん 草鞋(わらじ)の緒(お)

【語句】
あやめ葺く日: 旧暦五月四日(現在の6月20日)のこと。その夜(端午の節句の前夜)、家の軒にアヤメを葺く習慣があった。
画工・加右衛門: 屋号は北野屋で、俳号は加之(かし)。
 大淀三千風(おおよど・みちかぜ)の高弟で、俳諧書林を営む。 曾良旅日記では、五日に「三千風(みちかぜ)尋るに知ら不。其の後、北野や加右衛門に逢、委知る」とある。

年ごろ定かならぬ名所(などころ): 場所の不確かな歌枕。 当時の仙台では藩主・綱村による歌枕再整備が行われ、民間でも大淀三千風を中心に調査が進められていた。 その三千風(みちかぜ)は当時旅に出ていて逢えなかったものの、高弟である加右衛門と知り合いになり、あちこち案内してもらったようである。

(はぎ): 秋を代表する花の一つだが、もちろんまだ花の季節ではない。
あせび(馬酔木): 春に咲く小さな花で、既に花の季節は終わっているが、「つつじヶ岡は、あせびの咲く頃が見頃」ということ。『取りつなげ 玉田横野の放れ駒 つつじが岡の あせみ咲くなり』 (源俊頼)という句がある。

みさぶらい(御侍) 御笠(みかさ):  古今和歌集・東歌・陸奥歌1091
 『みさぶらひ 御笠(みかさ)と申せ 宮城野の この下露(したつゆ)は 雨にまされり』 (よみ人しらず)
 意味:『(お供の)お侍(さむらい)さん、(ご主人に)「お笠をどうぞ」と言っておあげなさい。 宮城野の、木の下に落ちる露は、雨にも勝りますから』  (「御侍」を「さぶらひ」と読むことで、「笠」、「城野」と韻を踏んでいる)

薬師堂: 木の下の陸奥国分寺跡にあり、伊達政宗により修造された。
天神の御社: 現在の、榴岡天満宮(つつじがおか・てんまんぐう)。
 曾良旅日記によると、「七日 快晴。加衛門(北野加之)同道にて権現宮を拝。玉田、横野を見、つつじが岡の天神へ詣。木の下へ行。薬師堂、古(いにしえ)国分寺之跡也。帰り曇」

紺の染緒付けたる草鞋(わらじ): 仙台で「切緒草鞋」と呼ばれていたもの。草鞋の紐を短く結んで残りを切り捨て、紺で染めた麻緒を付けたもの。 藍で染めた香は、毒虫や蝮(まむし)が嫌うと言われた。
風流のしれもの: 風流を愛する者、風雅なことに徹する者、風狂の人。 「しれもの」は「痴れ者」で、本来は一つの事にのめり込む愚か者のことだが、ここでは褒め言葉としてとらえる。

 曾良旅日記で、同じく七日に「夜に入、加衛門・甚兵へ入来。干し飯一袋、わらじ二足、加衛門持参。翌朝、のり壱包み持参」とあり、色々な餞別をもらっている。
「仙台・干飯(ほしい)」は土地の名産品で、海苔(のり)と同様便利な旅の保存食であったが、芭蕉は食べ物のことには一切触れていない。



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