2014年12月17日水曜日

17. 笠嶋のぬかる道

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【現代読み】
鐙摺(あぶみずり)・白石(しろいし)の城を過ぎ、笠島(かさしま)の郡(こおり)に入れば、
藤中将(とうのちゅうじょう)実方(さねかた)の塚は 何処(いづこ)のほどならんと、
人に問えば、
「是(これ)より遥(はる)か右に見ゆる山際(やまぎわ)の里を、
箕輪(みのわ)・笠島(かさしま)と云い、道祖神(どうそじん)の社(やしろ)、
形見(かたみ)の薄(ススキ)、今にあり」 と教う。

此の頃の五月雨(さみだれ)に 道 いと悪(あ)しく、
身 疲れ侍(はべ)れば、他所(よそ)ながら眺(なが)めやりて過ぎるに、
箕輪・笠島も 五月雨(さみだれ)の折りに触れたりと

  笠島は いづこ 五月(さつき)の ぬかり道

岩沼(いわぬま)に宿る。

【語句】
鐙摺(あぶみずり): 旧奥州街道にあった馬一頭がやっと通れるほどの険路で、「鐙摺り坂」や「鐙摺り石」といった名が残されており、義経の軍が通った時に馬の鐙(あぶみ)が摺れたという伝説が残っている。
白石の城: 白石城は現在の宮城県白石市にあった、片倉氏の居城。
笠島(かさじま)の郡(こおり): 実際は「名取郡笠島村」

藤中将(とうのちゅうじょう)実方(さねかた): 藤原実方(ふじわらのさねかた)のことで、「15. あさか山」の「花かつみ」のところで、「菖蒲が無ければ、あさか沼の花かつみを代わりに葺(ふ)け」と言った人物として少し触れている。
天皇の面前で口論したことが原因で陸奥の守に左遷された。
道祖神の社: その藤原実方がこの道祖神社の前を通った時に、「我下馬に及ばず」とそのまま通り過ぎ、落馬して、あるいは馬の下敷きになって死んだとされる。 塚(墓)はその道祖神社の傍らにあるとのこと。
右に見ゆる: 実際は「左」側。
形見(かたみ)の薄(すすき): 西行が藤原実方の塚を訪れた際に詠んだとされる、
「朽ちもせぬ その名ばかりをとどめ置きて 枯野の薄(すすき) 形見(かたみ)にぞ見る」(「山家集」)の句にある薄。

箕輪・笠島も五月雨(さみだれ)の折りに触れたりと: 「箕輪()」も「笠島()」も「」の折り(季節)に合った言葉ということで。

岩沼に宿る: この行だけ単独で独立しており、本によっては次の章の始めに入れられているものもある。 「曾良旅日記」によると、実際は岩沼に宿泊していないらしい。
 「笠島(名取郡之内)、岩沼・増田之間、左の方一里計有、三ノ輪・笠島と村並びて有由、行過ぎて見ず」(「曾良旅日記」)とあり、「武隈の松」はその前に出てくる。



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