2014年12月18日木曜日

16. 飯塚の貧家

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【現代読み】
(そ)の夜 飯塚(いいづか)に泊る。
温泉(いでゆ)あれば、湯に入(い)りて宿(やど)を借るに、
土坐(どざ)に莚(むしろ)を敷きて、あやしき貧家(ひんか)也。
(ともしび)も無ければ、
囲炉裏(いろり)の火(ほ)かげに 寝所(ねどころ)を設(もう)けて臥(ふ)す。
夜に入(い)りて雷鳴(かみな)り、雨しきりに降りて
臥せる上より漏(も)り、 蚤(のみ)蚊にせゝられて眠らず。
持病さえ起こりて 消え入る斗(ばか)りになん。

短夜(みじかよ)の空もようよう明ければ、又 旅立ちぬ。
(なお)夜の余波(なごり)、心すゝまず。
馬借りて 桑折(こおり)の駅に出(い)づる。
遥かなる行く末をかゝえて、
(か)かる病(やまい) 覚束(おぼつか)なしと言えど、
羈旅辺土(きりょ・へんど)の行脚(あんぎゃ)、捨身無常(しゃしん・むじょう)観念(かんねん)、
道路(どうろ)に死(し)なん、 是(これ)天の命(めい)なりと、
気力 聊(いささ)か とり直し、
(みち)縦横(じゅうおう)に踏んで、伊達(だて)の大木戸(おおきど)を越す。

【語句】
飯塚: 現在の飯坂温泉で、「曾良旅日記」では「飯坂」となっている。
 「昼より曇り、夕方より雨降る、夜に入り、強。 飯坂に宿、湯に入る」(「曾良旅日記」)
宿を借るに・・・あやしき貧家也: 芭蕉は滝の湯の湯番小屋に泊ったとされ、その跡に記念碑が建っているらしい。 いずれにせよ当時はまだ温泉地としての体裁が整っていなかったのでしょう。
消え入るばかりになん: (あまりの苦痛に)気を失いそうになる。

短夜(みじかよ): 現在で言えば、夏至(げし)の一週間くらい前に当たるので、夜明けは早い。
桑折(こおり): 飯坂温泉から東へ二里ほどの宿駅。
 飯坂温泉は瀬の上から街道を西へ二里ほど反れた所にあり、桑折でまた街道に戻ったことになる。 馬を借りたのは、それだけ体力を消耗して歩くことさえ困難だったということでしょう。

羈旅辺土の行脚: 「羈旅辺土」は辺鄙(へんぴ)な土地を旅すること、「行脚」は僧が諸国を巡って修行すること。
捨身無常の観念: 「捨身」は僧として俗世間を捨てること、「無常」は移ろいやすい現世を悟っていることで、どちらも仏教や儒教的思想から来た言葉。

道路に死なん: 「且(か)つ予(われ)縦(たと)い大葬(たいそう)を得(え)ずとも、予(われ)道路(どうろ)に死なんや」という「論語」からの引用、とのこと。
孔子の場合は、「たとえ立派な葬儀はできなくとも、まさか道路で野垂れ死にすることもあるまい」という意味で使っているが、芭蕉の場合は野垂れ死にする覚悟も出来ているようで、それを「天命」としている。

伊達(だて)の大木戸(おおきど): 文治五年(1189年)に鎌倉政権と奥州藤原氏との間で行われた奥州合戦で、源頼朝の鎌倉軍を迎え撃つため、藤原泰衡が厚樫山(あつかしやま)に築いた大きな柵(さく)。
芭蕉の頃には既に柵は無く、二重の空堀だけが所々に残っていたようである。
「曾良旅日記」では、「桑折(こおり)と貝田(かいた)の間に、伊達の大木戸の場所有り(国見峠と云う山有り)」となっている。



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