2014年12月21日日曜日

12. 白川の関(四月二十日)

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【現代読み】
心許(こころもと)なき日数(ひかず) (かさ)なるままに、
白河の関にかかりて 旅心(たびごころ)定まりぬ。
「いかで都へ」 と便り求めしも断(ことわ)りなり。

中にも此の関は三関(さんかん)の一(いち)にして、
風騒(ふうそう)の人、 心をとどむ。
秋風(あきかぜ)を耳に残し、紅葉(もみじ)を俤(おもかげ)にして、
青葉の梢(こずえ) (なお)あわれなり。
卯の花の白妙(しろたえ)に 茨(いばら)の花の咲き添いて、
雪にも越(こ)ゆる 心地(ここち)ぞする。

古人(こじん)(かんむり)を正し 衣装を改(あらた)めし事など、
清輔(きよすけ)の筆にも とどめ置かれしとぞ。

  卯の花を かざしに関の 晴れ着かな  曾良

【語句】
白河の関: 鼠ヶ関(ねずがせき)、勿来関(なこそのせき)と共に奥州三関の一つに数えられる関所だが、芭蕉の時代には既に関所は無く、その跡さえはっきりとしなかったらしい。→ 芭蕉と白河の関
「いかで都へ」:  平兼盛(たいらのかねもり)の歌「便りあらば いかで都へ告げやらむ けふ白河の関は越えぬと」(拾遺集)による。
(ことわり)也: 現在なら「理(ことわり)」で、「当然」とか「道理」、「もっともである」ということ。
風騒(ふうそう)の人: 詩文を作ったりする、風流な人。
 (原文にある「騒」の文字は、右側が「躁」の旁(つくり)になっているが、「IMEパッド」では出てこず、手持ちの漢和辞典にも載っていない)

秋風を耳に残し: 能因法師 「都をば 霞と共にたちしかど 秋風ぞ吹く 白河の関」(前出)
紅葉(もみじ)を俤(おもかげ)にして: 源頼政 「都には まだ青葉にて見しかども 紅葉散りしく 白河の関」
卯の花: 初夏に咲くウヅキ(空木)の白い花。
茨の花: 初夏に咲く「ノイバラ」の白い花。 「野バラ」とも言う。

古人(こじん)(かんむり)を正し、衣装を改め: 竹田大夫国行が能因法師の歌(前出)に敬意を表し、装束を改めて関を通ったという記述が、次の「清輔」の書に見られる。
清輔(きよすけ)の筆: 平安末期の歌学者・藤原清輔のことで、「筆」とはその著書「袋草子」のこと。
 『竹田大夫と云う者、陸奥(みちのく)に下向の時、白川の関過ぐる日は、殊に装束ひきつくろい向かうと云う。人問いて云わく、「何等(なんら)の故(ゆえ)ぞ哉(や)」。答えて云わく、「古曽部(こそべ)の入道(能因法師)の「秋風ぞ吹く白河の関」と詠まれたる所をば、いかでかけなりにては過ぎん」と云う。 殊勝の事かな』(「袋草子」)

かざしに関の晴れ着かな: 「04. 草加」の「只(ただ) 身すがらにと出立(いでた)ち侍(はべ)るを」でも分かるように、僧形の二人は着替えの晴れ着など持っているはずもない。 せめては道端に咲いている「卯の花」をかざして、晴れ着の代わりにしよう、ということ。 尤も、その関所も実際には存在しない。



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