2014年12月24日水曜日

09. 黒羽の館代

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【現代読み】
黒羽(くろばね)の館代(かんだい) 浄坊寺(じょうぼうじ)何某(なにがし)かの方に音信(おとづ)る。
思いがけぬ主(あるじ)の悦び、日夜語り続けて、 其の弟 桃翠(とうすい)など云うが、
朝夕(あさゆう/ちょうせき) 勤め訪(とぶら)い、 自らの家にも伴いて、
親属(しんぞく)の方にも招かれ、 日を経(ふ)るままに、
一日(ひとひ)郊外に逍遥(しょうよう)して、「犬追う物」の跡を一見(いっけん)し、
那須の篠原(しのはら)を分けて、 「玉藻(たまも)の前(まえ)」の古墳を訪(と)う。

それより八幡宮に詣(もう)づ。
与一(よいち) 扇の的を射(い)し時、
 「別(べっ)しては我国の氏神(うじがみ)(しょう)八幡(はちまん)」と誓いしも、
此の神社にて侍ると聞けば、感応(かんのう)(こと)に しきりに覚えらる。
(くれ)れば 桃翠宅に帰る。

修験(しゅげん) 光明寺(こうみょうじ)と云う有り。
そこに招かれて、 行者堂(ぎょうじゃどう)を拝(はい)す。

  夏山に 足駄(あしだ)を拝む 首途(かどで)(かな)

【語句】
館代(かんだい): 城代家老と同じ。 参勤交代で主君が江戸に赴いている間、代わりを勤める役。
浄坊寺・何某(なにがし): 正確には「浄法寺」で、陣代家老・浄法寺・図書(ずしょ)・高勝。 俳号は桃雪。
その弟・桃翠: 実際は「翠桃」で、当時二十九歳。
朝夕: 「あさゆう」と「ちょうせき」両方の読み方があり、本によって読み方もまちまち。 朗読するなら「あさゆう」の方が、聞き手にとっては分かりやすいでしょう。
親属: 親族。

犬追う物: 垣で囲んだ馬場に犬を放して、それを馬上から弓で射るというもの。 元々は那須野に逃れた妖狐(九尾の狐)を射るための練習が起源とされる。
玉藻(たまも)の前(まえ): 「玉藻御前(たまもごぜん)」とも言う。 鳥羽上皇の寵愛を受けたが、陰陽師・安部晴明によって正体を見破られ、白面金毛九尾の狐の姿となって那須野に逃れたとされる。
その後、八万にも及ぶ討伐軍によって殺された妖狐は毒気を放つ「殺生岩」(この後の11章に出てくる)と化し、近づく生き物を殺したと伝えられる。
  
八幡宮: 現在は大田原市にある「那須神社」。
与一(よいち):  那須与一(なすのよいち)のこと。 源義経に従軍し、屋島の合戦で遠くの小舟に掲げられた扇の的を射抜いたことで有名。
扇の的を射し時: 源平・屋島の合戦で、平家側から出した小舟の扇の的を、源氏方の那須与一が射抜いたこと。
(べっ)しては我国の氏神(うじがみ)(しょう)八幡(はちまん): 「別しては」は「特に」。 誓いの言葉とは、
「南無八幡大菩薩、別しては我が国の神明、日光権現、宇都宮、那須温泉大明神、願わくばあの扇の真中射させてたばせ給え」(平家物語)
「日本国中大小神祇、別しては下野の国日光、宇都宮、氏の御神那須大明神、弓矢の冥加あるべくは、扇の座席に定めて給え」(源平盛衰記)

修験: 修験(しゅげん)とは、俗に言う「山伏(やまぶし)」の事なり。 (菅菰抄)
行者堂: 修験道の開祖・役行者(えんのぎょうじゃ)を祀る。 一本歯の高足駄を安置してある、とのこと。
 


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