2014年12月29日月曜日

03. 草加

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【現代語読み】
ことし(今年)元禄二年(げんろく・ふたとせ)にや、
奥羽長途(おうう・ちょうど)の行脚(あんぎゃ) (ただ)かりそめに思い立ちて、
呉天(ごてん)に白髪(はくはつ)(うら)みを重ぬといえども、
耳に触れて いまだ目に見ぬ境(さかい)、
(も)し生きて帰らばと 定めなき頼みの末をかけ、
その日 (ようよう) 草加と云う宿(しゅく)にたどり着きにけり。

痩骨(そうこつ)の肩にかかれる物 (ま)ず苦しむ。
(ただ) 身すがらにと 出立(いでた)ち侍(はべ)るを、
帋子(かみこ)一衣(いちえ)は 夜の防ぎ、
浴衣(ゆかた)・雨具・墨(すみ)・筆のたぐい、
あるは さりがたき餞(はなむけ)などしたるは、
さすがに打ち捨て難くて、
路次(ろし)の煩いとなれるこそ わりなけれ。

【語句】
元禄二年: 西暦1689年で、芭蕉は当時46歳だから、まだ白髪の老人というほどではない。
奥羽: 陸奥(みちのく)と出羽の略。
行脚(あんぎゃ): 本来は、僧侶が諸国を巡って修行することで、転じて徒歩で諸国を遊歴すること、とある。 芭蕉の場合は墨染めの衣を着た僧形で旅をしていた。
呉天: 諸説あってはっきりしないが、呉の国は今の南京の辺りで、当時の都・長安から見れば遥か東の国であったことから、「はるか遠くの空」くらいの意味とする意見に従う。
 『禅則に「笠は重し呉天の雪、履は芳し楚地の花」と云う句あり。 白髪を雪に譬(たと)える事は、和漢に例多し。(菅菰抄)』とある。
白髪の恨みを重ぬといえども: (たとえ)白髪の老人になってしまうような旅の苦労を重ねようとも。

草加(そうか):  奥州街道二番目の宿駅で、千住からは9kmほどの距離。 
 「曾良旅日記」によると、「廿七日夜、カスカベ(春日部)ニ泊ル。江戸ヨリ九里余」とあるからもっと歩いたことになるが、芭蕉の紀行文は事実そのものを調査報告書のようにまとめたものではない点に注意。
肩にかかれる物: 当時の旅館は夜具を貸さず、雨具も現代の様に軽い物は無かったから、これらの荷物を振り分けにして肩に掛けたら、肩に食い込む程であったはず。

帋子(かみこ): 厚紙に柿渋を何度も重ね塗りして、日に干して乾かしてから揉みほぐした衣類の一種で、夜具の代わりになる防寒具。
さりがたき餞(はなむけ): 断りきれない餞別の品々。
路次(ろし): 道中。
わりなけれ: 仕方がない、やむをえない。


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