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【現代読み】
月日は百代の過客(かきゃく)にして、行き交う年もまた旅人なり。
舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらえて老いを迎うる者は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。
古人(こじん)も多く 旅に死せるあり。
予(よ)もいづれの年よりか、片雲(へんうん)の風に誘われて、漂泊(ひょうはく)の思いやまず、
海浜(かいひん)にさすらへ、
去年(こぞ)の秋、江上(こうしょう)の破屋(はおく)に 蜘蛛(くも)の古巣を払いて、
やや年も暮れ、
春立てる霞(かすみ)の空に、白河の関越えんと、
そぞろ神の物に憑(つ)きて 心を狂わせ、
道祖神(どうそじん)の招きにあいて 取るもの手につかず、
股引(ももひき)の破れをつづり、笠の緒(お)付け替えて、
三里(さんり)に灸(きゅう)すうるより、
松島の月 先づ心にかかりて、
住める方は人に譲り、 杉風(さんぷう)が別墅(べっしょ)に移るに、
草の戸も 住み替る代ぞ 雛(ひな)の家
面八句(おもて・はちく)を 庵の柱に掛け置く。
【語句】
百代の過客: 李白の詩「夫(そ)レ天地ハ万物之逆旅(旅館)ナリ。光陰(歳月)ハ百代之過客(旅人)ナリ」による。
舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらえて: 船頭や馬方の生活を指す。
古人も多く: 芭蕉が敬愛し、旅で死んだ詩人、西行、宗祇、唐の杜甫、李白らのこと。 「おくのほそ道」には西行ゆかりの地が多く、その句も幾つか引用されている。
海浜にさすらへ: 二年前の十月から翌年五月まで、「笈の小文(おいのこぶみ)」の旅で海辺を歩いている。
去年(こぞ)の秋: 前年八月末(現在の10月)に「更級(さらしな)紀行」の旅から江戸の芭蕉庵に戻っている。
江上の破屋: 「隅田川のほとりにあるあばら家」の意、江戸深川にあった芭蕉庵を指す。
やや年も暮れ、春立てる霞の空に: 原文ではわずか一行で冬から春へと季節が変わっている点に注意。
白川(白河)の関: 陸奥(みちのく)の入り口に当たる関所だが、芭蕉の時代には既に関所は無かったらしい。 歌枕としても知られ、能因(のういん)法師の有名な句 「都をば 霞とともに立ちしかど 秋風ぞ吹く 白河の関」 を念頭に置いているようで、同様に「霞」と「関」を配している。
そぞろ神: 次の「道祖神」と対をなすが、どうも芭蕉の造語らしく詳細は不明。
道祖神: 旅や交通の安全を守る神とされ、現在でも路傍(道端)のどこかで見かけられる。
股引の破れをつづり、笠の緒付け替えて: ほぼ半年に及ぶ長途の旅に出るのだから、普通なら新しい衣服や笠を用意するところ。
三里に灸すうる: 膝頭の下の外側にある窪みで、灸の壷。 そこに灸をすえると脚が丈夫になるということで、これも旅支度の一つ。
松嶋(松島): 日本三景の一つに数えられ、奥州第一の景勝地として知られた歌枕。 月を詠んだ句も多いという。
芭蕉は仙台の俳人・大淀三千風(おおよど・みちかぜ)の著書「松嶋眺望集」で、松嶋への憧憬を深めていたと言われる。 (仙台へ行った時、「曾良旅日記」によると五月五日に三千風を訪ねているが、旅に出ていて逢えなかった)
住める方は人に譲り: 「むすめ持ちたる人に草庵を譲りて」や、「日ごろ住ける庵を相知れる人に譲りて出(い)でぬ」―という文章が残されている。
杉風: 杉山氏で、「杉風(さんぷう)」は俳号。 日本橋の魚問屋・鯉屋の当主で、通称「鯉屋市兵衛」。 最古参の門人の一人で、芭蕉の経済的後援者。
別墅(べっしょ): 別宅。 芭蕉庵の近くで、同じ深川にあった採荼庵(さいとあん)とのこと。
昨年秋に江戸へ戻ってすぐの九月には、ふるさとの伊賀上野から加兵衛という人物が江戸にやって来て、芭蕉庵に居候(いそうろう)していた。 「加兵衛がこと、寒空に向かい単物・かたびらばかりにて丸腰同然の躰、・・・ まづ春まで手前に置き、草庵の粥など炊かせ、江戸の勝手も見せ申し候」という書簡が残されているから、そうしたことも重荷になっていたのでしょう。
草の戸: 草庵のことで、これまで住んでいた芭蕉庵を指す。
雛の家: 庵を譲った人に娘のいたことから、わびしかった草庵もこれからは雛人形を飾る(華やいだ)家に変わることだろう、ということ。 (次の章での旅立ちは、既に三月三日の雛祭りも終わった弥生二十七日となっている)
面八句: 連句の初表(しょおもて)の八句のこと。 もっとも、この句以外は残されていないことから、実際に連句が詠まれたかどうかは分かっていない。
庵の柱に掛け置く: 連句の書かれた懐紙は、一端を綴じて柱に掛けておくのが当時の慣例だったという。 「庵」は芭蕉庵だから「アン」と読ませる本もあるが、朗読なら「いおり」と読む方が聞き手には分かりやすいでしょう。
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